1か月遅れの行事がある理由

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大人になって気が付きましたが、一般にひな祭りは3月3日ですよね。
あれ?私の地元では、4月3日にひな祭りだったと記憶しています 。
この様な方いらっしゃいませんか?
今回は、このような1か月遅れで行う行事について説明します。
新暦と旧暦といった暦についても触れて、行事を遅れせて行う理由と何故1か月遅れるのかを解説します。

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1か月遅れの行事がある理由

ひな祭りを含め日本の伝統行事には、月遅れと呼ばれ1か月遅れで行う地域がある行事が多数あります。

日本の伝統行事は、旧暦(太陰太陽暦)を使用していた時代に定められたものが多くあります。これらは、現在使用されている新暦(太陽暦であるグレゴリオ暦)に、そのままの日付で当てはめると季節が約1か月早くなります。行事の中には、行う時期(季節)に大きな意味を持つものも多くあり、行うべき季節からズレてしまうことで、行事本来の意味が薄れてしまいます。月遅れとは、日付を1か月遅らせて行事を行うことにより、旧暦の時代の季節感から大きくズレないようにする方法のことです。

そして現在の行事では、新暦の日付で行うもの、新暦の日付に1か月遅らせて季節感を重視したもの(月遅れ)が混在する形となりました。この他にも旧暦の日付で行事を行うものもあります。どの暦で行事を行うかは、地方の地域ほど旧暦や月遅れを行う傾向がありますが、エリア分けすること等は難しくなっています。

新暦の日付で行われる行事

月遅れは上記で説明したような新暦と旧暦が関係するため、明治以降に出来た新しい記念日や海外からきた行事、そして季節より日付に意義のある行事では新暦の日付そのままで行われます。

・明治以降に出来た記念日(行事というより祝日)
あくまでも一例ですが、ゴールデンウイーク等の祝日です。
昭和の日(4月29日)/憲法記念日(5月3日)/みどりの日(5月4日)/こどもの日(5月5日)

・海外から来た行事
バレンタインデー(2月14日)/ハロウィン(10月31日)/クリスマス(12月25日)

・日付に意義がある行事
端午の節句(こいのぼり)5月5日

 shoumaru
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こいのぼりには本来は梅雨の時期に行われ、雨の中で鯉が天に昇って竜になること(登竜門)にあやかり、子弟の出世を願って掲げるという意味があったよ。

月遅れがある代表行事 

  • ひな祭り
    全国的な主流は新暦3月3日に行います。東北・北陸のような積雪・寒冷地などでは旧暦3月3日か新暦4月3日(月遅れ)に行う場合もあります。この他、長野県や埼玉県の一部でも月遅れで行う地域がみられます。
  • 七夕
    新暦7月7日、旧暦7月7日、新暦8月7日(月遅れ)の地域が入り混じっている状態です。旧暦または月遅れの地域は北海道(一部は新暦)・仙台が代表的ではありますが、他にも各地に存在しています。七夕が行われる新暦7月7日は梅雨の真っ最中で、よく季節感をあまりに無視しすぎているとやり玉に挙げられます。
  • お盆(月遅れが主流)
    全国的な主流が新暦8月15日の月遅れで行われます。沖縄・奄美地方等では旧暦7月15日(旧盆)に行われています。本来の日付である新暦7月15日で行われるのは東京・横浜・函館など一部地域にとどまっています。
 shoumaru
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東京に上京した時、7月半ばにパートさんがいなくなってバイトがめちゃ忙しかった記憶があります。お盆は8月15日前後と思っていなので理由が謎でした。これで、謎が解けました!

太陽暦(新暦)

太陽暦は、太陽の動きを基に作られた暦です。地球は太陽の周りを公転し、365日で1周しこれを1年と定める太陽年の概念に基づきます。太陽年の1周とは、黄道上の夏至や冬至に当たる至点や春分や秋分に当たる分点を起点とし、元の場所に戻ってくるまでの期間を指します。

季節の変化は、地球が太陽の周りを公転(この公転軸に対し地球の地軸が傾いている為)することで生じます。太陽暦は地球と太陽との位置関係を重視している為、季節の変化、日本においては四季の変化に正確な暦といえます。

グレゴリオ暦は、元々使われていたユリウス暦の閏年の扱い方を修正・精度向上させたもので、現在世界中で採用されている太陽暦のことです。

閏年

太陽年の周期は、もう少し正確にいうと約365.24日で、4年でほぼ1日のズレが生じます。
このズレを補正するために、閏年が存在します。グレゴリオ暦における閏年は以下の様なルールに基づいています。多くの国では閏年に「2月29日」の1日を追加して366日とする方法が取られています。
1.西暦年が4で割り切れる年は、原則として閏年
2.ただし、西暦年が100で割り切れる年は原則として通常の年
3.ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年

この3つの原則に従い、400年間に97回の閏年を設けています。
この方法だと、約3320年で約1日の誤差しか出ません。

 shoumaru
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閏年を意識する人は少ないかもしれませんが、「オリンピックイヤー」と言えば馴染みがあるかもしれません。2100年は上記ルールにより、オリンピックイヤーなのに通常の年(閏年ではない)となる少しレアな年となります。

太陰太陽暦(旧暦)

太陰暦は、月(お月様のこと)が約29.5日周期で満ち欠けを繰り返すことを利用して暦を決める方法です。太陰暦では1か月を29日(小の月)か30日(大の月)とし、12回繰り返して約354日で1年とします。

「太陰」とは月のことを指し、新月を「朔」、満月を「望」と呼びました。この太陰暦は、1年を365日とする太陽暦(季節に正確な暦)と比較して約11日短く、3年毎に約1か月のズレが生じます。そこでこのズレを補正するために、太陽の位置を参考にしつつ(二十四節気を利用)、閏月という「月(一か月丸々)」を追加し、1年を13か月にすることによって暦と季節のズレを正す方法が取られました。これを太陰太陽暦と呼びます。

 shoumaru
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純粋な太陰暦は季節より月の満ち欠けを重視したため、日本で採用すると8月が真冬になったりすることもあるよ。また、太陰太陽暦でも季節はズレるため、昔の農耕民は季節を知る為に二十四節気を意識していました。

閏月の有無で1年の日数に差が出ることなどから、現在正式に採用している国はないですが、中国等のアジア各国で旧暦のお正月である春節をお祝いします。閏月は約2.7年(太陽暦の19年と太陰太陽暦の19年7か月がほぼ等しい為(メトン周期)、閏月を19年で7回挿入する)に1回の頻度で挿入され、閏月がある年は約384日になります。また、閏月がある場合は、1月、2月、閏2月、3月のようになります。

語彙説明

・朔
朔は旧暦の一日目、望は旧暦で15日を指します。

・平年
閏年ではない年のこと

・置閏法(ちじゅんほう)
暦と季節のズレを修正するために、太陽暦では1日・太陰太陽暦では1か月を追加し調整したがこの規則のこと

・閏
置閏法で追加された日や月のことをそれぞれ閏日・閏月と呼び、それらを総称したもの

・黄道
地球から見た空を一つの球体とみなした、天球上における太陽の見かけ上の通り道のこと

天球と黄道

・二十四節季
1年を太陽の位置により24等分(各節や中気は太陽黄経の15度ずつ)し、季節を春夏秋冬の4等区分する暦の区分方法です。カレンダーにも記載がありますので、確認してみて下さい。1年を12の節季と12の中気に分類し、それぞれに季節を表す名前が付けられています。
重要な中気である夏至・冬至の二至と春分・秋分の二分を合わせて二至二分と呼びます。
重要な節季である立春・立夏・立秋・立冬を四立といい、二至二分と四立を合わせて八節と呼びます。例えば、立春から春分までを一節と呼び、約45日です。つまり、各節気や中気は約15日ほどです。ただし、厳密には地球は楕円軌道で周回しているので、冬に近日点(太陽との距離が最も近い場所に位置する時)を迎える日本では、15度を進む速度が速くなります。この為、夏の節気と中気間は15日~16日で、冬の節気と中気間は14日~15日程になります。このように、時間ではなく度数を基準とする二十四節気を定気法と呼びます。太陰太陽暦最後の天保暦で使用されていました。それより昔は時間(正円を公転すると仮定)を基準にした、平気法が使用されていました。

日本の遠日点と近日点

太陰太陽暦で閏月を入れる月は、太陽暦の2月29日のように固定ではなく、この二十四節気を利用しいつ入れるかを判断します。

明治3年の実例

上記は、明治3年に閏月を挿入した実例です。明治5年の末に新暦に切り替わっていますので、閏月挿入された最後の年となりました。
オレンジが節気、青が中気で後の月は本来入るべき月を表します。

約15日おきに節気と中気を繰り返す二十四節気より月の満ち欠けの方が短いため、少しずつ節気と中気が後ろにズレます。この表で潤10月が挿入された場所は本来11月になりますが、中気を含まなくなります。先ほど説明したように11月には必ず冬至を含むルールがある為、閏月を挿入して調整しました。

この結果、12月には本来1月の節気である立春(年内立春と呼ぶ/平均的には立春頃にお正月だった)を迎えていたり、中気を含まない等の不都合が生じていますが、月日が流れるとともに、節気と中気が徐々に後ろの月にズレていくので問題ありません。閏月の入る太陰太陽暦は、このような流れを数年単位で繰り返して成り立っていました。

明治改暦

日本で、太陰太陽暦が廃止され太陽暦が採用された出来事を明治改暦と呼びます。

この改暦は、1872年(明治5年)12月2日をもって太陰太陽暦(天保暦/数種類の太陰太陽暦のうち最新で最後のもの)を廃止し、1872年(明治5年)12月3日から太陽暦(グレゴリオ暦)を採用するものでした。太陰太陽暦(天保暦)での1872年(明治5年)12月3日は、太陽暦(グレゴリオ暦)では1873年1月1日に当たり、明治6年1月1日と定められました。

新しく採用された太陽暦を新暦、それまで使用してい太陰太陽暦を旧暦と呼ぶようになりました。

太陽暦(新暦)と太陰太陽暦(旧暦)で日付がズレる原因

ここまでの説明でおや?と思った方もいるのではないでしょうか?

読者
読者

そうか、太陽暦と太陰太陽暦で1年で約11日違うから日付がズレるのか!?
でも、何で月遅れは1か月も遅らせるのだろう?

最後に、新暦から1か月遅らせると旧暦になる理由を説明します。

その理由は、太陽暦と太陰太陽暦で1月1日の定義が異なるからです。

・太陽暦
1月1日は、春分(3月21日と定められている)から79日(閏年は80日)前
・太陰太陽暦
1月1日は、雨水(二十四節気の中気の1つ)を含む月を1月とし、その直前の新月の日

雨水が2月19日で、1月が大の月の場合の例

上記の様に、雨水と新月が重なると最も正月が遅くなります。反対に雨水の翌日が新月の場合に最も早く正月を迎えます。
雨水は現在の新暦で2月19日前後です。雨水が2月18日~2月20日で前後することや、1月が29日か30日か等でも変化しますが、旧暦1月1日は新暦で1月19日~2月20日の間になります。つまり、旧暦の日付は新暦の同じ日付に対して19~51日後を指す(迎える)ことになります。
新暦に月遅れ(1か月遅れ)させるとおおよそですが旧暦の季節感に近づきます。
毎年、遅らせる日数が異なると分かりにくくなるため、遅らせる日数を分かりやすくキリの良い1か月後にしたわけです。

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まとめ

①地域のよってひな祭りのように開催時期が異なる行事がある。
日本では明治5年に、旧暦と呼ばれる太陰太陽暦を廃止し新暦である太陽暦を採用しました。旧暦から新暦に同じ日付で置き換えると季節が1か月ほど早くなります。旧暦時代に作られた行事の中で、特に季節感を大切にしたものを1か月遅れの月遅れで行っている地域がある。

②新暦に同じ日付で置き換えると何故季節が1か月ほど早くなるのか。
旧暦と新暦のお正月の定義が異なるからです。旧暦の1月1日(お正月)は、新暦で1月19日~2月20日になります。つまり、旧暦から新暦に同じ日付で変換するとこの差の分季節が早まってしまいます。

太陰太陽暦は使われなくなりましたが、昔からの行事や立春等の言葉に対して、その意味やそこに込められた思いは、これからいつまでも後世に受け継いでいきたいものです。


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